■用途
ヒドラジンは、水に溶けやすく、常温で無色透明の液体で、揮発性物質です。吸湿性があり、湿気のある状態に置いておくと、ヒドラジンは容易に水の分子と結合してヒドラジン水和物になります。PRTR制度では、無水ヒドラジンとヒドラジン水和物をあわせてヒドラジンとして対象にしています。ヒドラジンは、還元(酸化物から酸素を取り除く化学変化)する力が強く、二酸化炭素や酸素を吸収する性質があります。
わが国では無水ヒドラジンは、ロケット燃料として年間数トン程度生産されているだけです。ヒドラジン水和物の一般的な製品であるヒドラジン一水和物は、多くは合成樹脂の発泡剤の原料として使われています。この他、ボイラー給水の脱酸素剤、pH調整剤や水処理剤(金属回収、廃水処理など)として使われたり、エポキシ樹脂硬化剤、繊維改質剤、除草剤や医薬品原料などの合成原料として使われています。
なお、ヒドラジンはたばこの煙にも含まれています。
■排出・移動
2010年度のPRTRデータによれば、わが国では1年間に約140トンが環境中へ排出されたと見積もられています。すべてが中小の事業所を含む電気機械器具製造業などの事業所や下水処理施設から排出されたもので、主に河川や海などへ排出されたほか、大気中へも排出されました。この他、電気機械器具製造業などの事業所から廃棄物として約550トン、下水道へ約5.6トンが移動されました。
また、ヒドラジンはたばこの煙にも含まれていることから、喫煙による環境中への排出の可能性がありますが、生成量が不明なため、排出量は推計できていません。
■環境中での動き
環境中へ排出されたヒドラジンは、河川や海などでは、主にヒドラジン一水和物として水中に存在するものと考えられます1)。水中では加水分解されませんが、水中の酸素などによって酸化され、窒素と水に分解されます2)。その速度は共存する銅(II)イオンなどの濃度の影響を受けるとされていますが、60日間で90%が酸化されたという報告があります2)。また、大気中に入った場合は、吸湿性が高いため、大気中の水分と結合してヒドラジン一水和物として存在すると考えられます2)。大気中では化学反応によって分解され、4〜9時間で半分の濃度になると計算されています2)。
■健康影響
毒 性 ヒドラジンは、多くの変異原性の試験で陽性を示したと報告されています2)。また、マウスやラットの実験で肺腫瘍などが認められており2)、国際がん研究機関(IARC)はヒドラジンをグループ2B(人に対して発がん性があるかもしれない)に分類しています。
ヒドラジン一水和物とその関連物質の製造工場における作業者を対象とした研究では、平均濃度が0.014 mg/m3のヒドラジンを含む空気を呼吸によって取り込んだ場合に、「夜間に悪夢を見る」という自覚症状が起こったと報告されています1)。
この他、ラットにヒドラジンを含む空気を12ヵ月吸入させた実験では気道粘膜の炎症や扁平上皮化生などが認められ、この実験結果から求められる呼吸によって取り込んだ場合のLOAEL(最小毒性量)は0.066 mg/m3でした2)。また、ラットにヒドラジンを一生涯、飲み水に混ぜて与えた実験では胆管増生などが認められ、この実験結果から求められる口から取り込んだ場合ののLOAELは2 mg/L(体重1 kg当たり1日0.08 mg)でした2)。
体内への吸収と排出 人がヒドラジンを体内へ取り込む可能性があるのは、呼吸、食物や飲み水によると考えられます。体内に取り込まれた場合は、ラットによる実験では、腎臓、肝臓、肺に分布した後、代謝物に変化し、尿に含まれて排せつされたり、窒素ガスとして呼気とともに吐き出されます2)。
影 響 呼吸によってヒドラジンを取り込んだ場合について、環境省の「化学物質の環境リスク初期評価」では、「夜間の悪夢」という自覚症状が認められた作業者の研究結果に基づいて、無毒性量等を0.003 mg/m3としています1)。大気中濃度に関する測定データは得られておらず、人の健康への影響は評価できていません。
食物や飲み水を通じて口から取り込んだ場合について、この環境リスク初期評価では、呼吸によって取り込んだ場合の無毒性量等から換算して、口から取り込んだ場合の無毒性量等を体重1 kg当たり1日0.0009 mgとしています1)。ヒドラジンの食物中濃度から計算すると、食物から取り込む量は最大で体重1 kg当たり1日0.000024 mgと予測され、飲み水や地下水の測定データがないため、これに淡水のデータを含めると、人が口から取り込む量は最大で体重1 kg当たり1日0.0001 mgと予測されます1)。淡水を飲み水として常時飲用することは考えられませんが、これは、上記の無毒性量等を下まわっているものの十分に低いとは言えないため、環境省では、食物と淡水を摂取した場合の健康リスクについては詳細な評価を行う候補と考えられるとしています1)。
なお、(独)製品評価技術基盤機構及び(財)化学物質評価研究機構の「化学物質の初期リスク評価書」では、呼吸から取り込んだ場合について、気道粘膜の炎症などが認められたラットの実験におけるLOAELと大気中濃度の推計値を用いて、人の健康影響を評価しており、現時点では人の健康へ悪影響を及ぼすことはないとしています2)。また同評価書では、口から取り込んだ場合は、胆管増生などが認められたラットの実験におけるLOAELと河川水中濃度の推計値及び食物中濃度の実測値を用いて評価し、この場合は、人の健康へ悪影響を及ぼしていることが示唆されるとして、ヒドラジンを詳細な調査や評価などを行う必要がある候補物質としています2)。同時に、飲料水中濃度を収集して、より詳細なばく露評価を行う必要性を指摘しています2)。
■生態影響
環境省の「化学物質の環境リスク初期評価」では、藻類の生長阻害を根拠として水生生物に対するPNEC(予測無影響濃度)を0.000005 mg/Lとしています1)。最近の測定では、このPNECを超える濃度のヒドラジンが河川から検出されています。
なお、ヒドラジンは、無水ヒドラジンの甲殻類に対する有害性からPRTR制度の対象物質に選定されていますが、上記のPNECは甲殻類の有害性から導くPNECより低い値1)で、より安全側に立った評価値として設定されています。
(独)製品評価技術基盤機構及び(財)化学物質評価研究機構及の「化学物質の初期リスク評価書」でも、藻類の生長阻害を指標として、河川水中濃度の推計値を用いて水生生物に対する影響について評価を行っており、環境中の水生生物へ悪影響を及ぼしていることが示唆されるとして、ヒドラジンを詳細な調査や評価などを行う必要がある候補物質としています2)。
性 状 |
無色透明の液体 水に溶けやすい 揮発性物質 |
生産量
(2010年) |
国内生産量:公表データなし |
排出・移動量
(2010年度 PRTRデータ) |
環境排出量:約140トン |
排出源の内訳[推計値](%) |
排出先の内訳[推計値](%) |
事業所(届出) |
11 |
大気 |
11 |
事業所(届出外) |
89 |
公共用水域 |
89 |
非対象業種 |
− |
土壌 |
− |
移動体 |
− |
埋立 |
− |
家庭 |
− |
(届出以外の排出量も含む) |
事業所(届出)における排出量:約15トン |
業種別構成比(上位5業種、%) |
電気機械器具製造業 |
38 |
化学工業 |
32 |
電気業 |
16 |
鉄鋼業 |
10 |
産業廃棄物処分業(特別管理産業廃棄物処分業を含む。) |
2 |
事業所(届出)における移動量:約550トン |
移動先の内訳(%) |
廃棄物への移動 |
99 |
下水道への移動 |
1 |
業種別構成比(上位5業種、%) |
電気機械器具製造業 |
73 |
化学工業 |
24 |
非鉄金属製造業 |
2 |
金属製品製造業 |
1 |
熱供給業 |
0 |
PRTR対象 選定理由 |
発がん性,変異原性,経口慢性毒性,吸入慢性毒性,生態毒性(無水ヒドラジン:甲殻類),作業環境許容濃度 |
環境データ |
公共用水域
- 要調査項目存在状況調査:検出数4/45地点,最大濃度0.0092 mg/L;[2010年度,環境省]3)
- 化学物質環境実態調査:検出数0/9検体(検出下限値0.0000013 mg/L);[2005年度,環境省]4)
地下水
- 要調査項目存在状況調査:検出数0/2地点(定量下限値0.0039 mg/L);[2010年度,環境省]3)
底質
- 化学物質環境実態調査:検出数14/17検体(検出下限値0.066 mg/kg);[2005年度,環境省]4)
生物(貝魚)
- 化学物質環境実態調査:検出数24/30検体,最大濃度0.095 mg/kg;[2006年度,環境省]4)
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適用法令等 |
- 大気汚染防止法:揮発性有機化合物(VOC)として測定される可能性がある物質
- 化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律(化審法):優先評価化学物質
- 水道法:要検討項目(目標値未設定)
- 日本産業衛生学会勧告:作業環境許容濃度
;無水ヒドラジン0.13 mg/m3(0.1 ppm)
;ヒドラジン一水和物0.21 mg/m3(0.1 ppm)
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注)排出・移動量の項目中、「−」は排出量がないこと、「0」は排出量はあるが少ないことを表しています。
■引用・参考文献
■用途に関する参考文献